9月17日の日記 「アメリカ同時多発テロに思う」
<はじめに>
2001年9月11日、ニューヨークとワシントンで、ハイジャックされた飛行機による特攻攻撃により痛ましい悲惨な出来事が起きた。テロの実行犯達はいずれも死亡していると思われるが、アメリカは「断固たる報復を行う」といっている。
これからどうなってゆくのか?。
今回のテロ行為は勿論許されるべきものではないが、これに対する解決法を誤ると、報復が報復を呼び、地球上に戦火が絶えない状況をさらに長引かせてしまうことになるという懸念もある。
アメリカは現在、地球上で最も「強い国」「豊かな国」といえる。それだけに敵も多い。20世紀にはアメリカは資本主義陣営の代表として共産主義陣営を敵として戦ってきた。その戦いに勝利したアメリカは、21世紀にはイスラム陣営を敵として戦ってゆくことになるのだろうか?
どうしてこうなってしまったのか?、どうすればよいのか?、乏しい頭で考えてみたい。
<イスラムの心とは>
戦後生まれの我々は宗教教育を受けていないので、イスラム教に関する知識は皆無に近い。しかし3大宗教の一つであり、世界の3分の1の人々がイスラムの教えを信じているということはそれなりの理由があるはずだ。イスラム教というのはどんな教えなのか?
最近得たわずかな知識によれば、イスラム教の特徴は「平等・公平」を旨としているようだ。「目には目を、歯には歯を」という言葉は報復の教えというよりは「公平」ということを教えているものと思われる。貴族や富豪が農民や奴隷を支配していた中世の時代に、「平等・公平」を唱えて広まった「革命的」な宗教だったようだ。
よく「コーランか剣か」という形で布教されたことから暴力で布教したような印象を抱いていたが、「同じ宗教を受けいれれば差別なく同胞として付き合いましょう、そうすれば支配するものも支配されるものもない社会になる」と布教されたとしたら、支配階級の少数の人は別にして多くの庶民は「それならイスラム教がいい」と、喜んで受け入れたのではないか?。布教は相手の心を動かすことで広まるものであり、武力で布教できるものではない。
<アメリカは敵なのか?>
さて、アラブを中心に世界の3分の1以上に及ぶと思われるイスラム教の国々にとって、アメリカは敵国なのであろうか?イスラムの教えは「人類みな兄弟」で国家と国家の関係も公平・対等であるべきで、敵味方に分かれるべきではない、したがってアメリカとも「対等」の関係で平和的に付き合う相手であるべきで、敵ではないといったものであろう。
しかし、強い国が弱い国を支配するという構図には明らかに反対であって、ことあるごとに海外へ軍隊を派遣したり、経済制裁を行ったりするアメリカ、自由主義経済を世界の標準にしようと弱小国にも自由な競争を押し付けてくるアメリカに対しては、好ましからざる思いがあることも確かであろう。そのような「想い」が極端な形として表れているのが「イスラム過激派」なのではないだろうか?。
イスラム諸国も今回のテロには反対を表明している。しかしこれを機に、強大なアメリカの軍事力がまたもやイスラム諸国を襲うのか・・・・というやりきれない思いもあるのではないか?
<解決は難しいが・・・>
そんなわけで、アフガニスタンにミサイルを打ち込みラディン氏を殺害出来たとしても、真の解決とは言えないと思う。強国が弱小国を従属させて地球の秩序を保とうとする動き(つまりアメリカが世界の警察であるような状態)が続く限り、イスラム陣営からの反感は消えず、次の「ラディン氏」が現れ新たなテロ行為が発生することだろう。悪循環。
日本の優れた武道家が、「武道の極意は?」と聞かれて「自分を殺しに来た殺し屋と友達になってしまうこと」と答えていた(ビデオで見た)のを思い出す。この地球上から血生臭い戦渦を無くすには、この武道家のような精神が望まれるのでは?。でも、こういう性善説的発想は仏教の発想だから、アメリカにこれを求めるのはなかなか難しいかもしれない。
「そんな夢みたいなことを言っていたら、テロリストの思う壺だ」と一笑に付されるかな。・・・いいだろう、鶴ちゃんはやはり「夢想家」である。武力で平和を保つことには反対だ。テロ行為に反対であり「報復攻撃」にも反対である。
「報復」以外にも考えることが有っても良いのでは?テロを無くすにはテロ発生の原因を無くしてしまうことが必要だが、武力で鎮圧することが原因を絶つことになるのか?世界からの(様々な理由による)「反米感情」を無くすことは出来ないのか?
<アメリカはなぜ憎まれるのか>
いろいろな意味で世界の勝者だから・・・強者は弱者から嫌われる。敗者は勝者を憎む。アメリカが勝っている状態を永続化しようとするから。
<アメリカの心>
こんな大きな被害を受けてやられっぱなしで黙っているなんて到底出来ないこと。断固として「報復」だ。
でもイラク攻撃でもフセインを殺せなかったし、ユーゴスラビア攻撃でもミロシェビッチを殺せなかった。今回アフガニスタンを攻撃しても「ラディン」を殺せるかどうか・・・仮に殺せたとしても、死んだ人々が生き返るわけではないし・・・・。裁判に持ち込んだとしても有罪を立証できる保証があるわけではない。だから裁判なんかいらない、「戦争」だ、「これは戦争なんだ」。
・・・でも・・・こんな敗北感は建国以来初めてのことではないか?
<報復は正義なのか?>
テロは悪い。そのことには鶴ちゃんも大賛成だ。無差別殺人が良いことのはずはない。しかしだからといって、無差別殺人の「お返し」をすることが許されるとは思えない。始めに攻撃を仕掛けたほうは「悪」だが、後から攻撃したほうは「報復なので悪ではない」という考え方に賛成は出来ない。始めに攻撃したほうも後から攻撃したほうも、罪もない人を殺すことは「どちらも悪い」と考えたい。鶴ちゃんは報復攻撃に反対である。イスラム過激派やラディン氏を、ミサイルで殺すのではなく裁判で裁くべきである。強者が弱者を裁くようなやり方ではなく、公平に、十分な証拠をそろえて・・・。
<テロは悪い。・・考えるのはそれだけか?>
理由があっても暴力をふるうことは悪である。今回のテロはテロを起こしたほうが悪い。普通はそう考えるし、それで正しい。
テロを起こした側の「理由」など認めるわけには行かない。・・・そりゃそうである。しかし、同じことが繰り返されないようにするためには、何が原因だったのかをいろいろな角度で考えることは大切だ。
鶴ちゃんには今回のテロは弱者から強者への攻撃のように思われる。鼠が象を攻撃したようなものだ。余りにうまく行過ぎたが、鼠が象になったわけではない。鼠はなぜ象に噛み付いたのか?
鶴ちゃんには次のような例え話が思い浮かぶ・・・
「ある平凡な中学校で、ある日突然ある劣等生がある優等生をナイフで切りつけた。平和な我が国では考えられない、とんでもない暴力事件である。優等生から劣等生への暴力行為はそれまで無かった。劣等生が突然一方的に暴力を振るったのである。マスコミは連日この話題をとりあげた。本人や同級生の話を総合してみると、この劣等生は普段からこの優等生から言葉によるいじめを受けていたということだ。言い返すだけの知恵が回らない劣等生は、悔しさが日増しに蓄積され、ついに実力行使による反撃に出たのである。しかし、そのような心情的なことはなかなか認められるものではなく、警察に調べられたり処分を受けるのはナイフで切りつけた劣等生の方だけで、優等生に対するおとがめはないのである。何しろ優等生は事件の被害者なのだから。」
このたとえ話は鶴ちゃんの創作である。現実に起きたテロ事件とは違っているかもしれないが、構造はにているのではないか?
<憎むべき悪魔の仕業=本日のまとめ>
悪魔は人間の心をすみかとする。特に居心地の良いのは憎しみにあふれた心である。憎しみの心を持つ人の中に悪魔は入り込み住み着く。住むだけでは不十分だから、増殖しなければならない。そのために憎しみの心を持つ人を増やそうとする。その方法として人に憎まれる行為をする。悪行に対し相手が憎んでくれれば大成功だ。いちばんよい方法は殺人である。罪の無い人に対する殺人こそ悪魔の行為の最たるものであろう。
悪魔はしばらくの間アメリカに対する憎しみの心を持ったイスラム過激派の若者の心に住んでいたと思われる。用意周到な悪業によってまんまと大量無差別殺戮を成功させてしまった。
悪魔は今まで住んでいた過激派の若者の肉体を離れ、一瞬の虚をついてアメリカ大統領の心に入り込んだ。あまりの惨事に、強い憎しみの心が芽生えたからである。悪魔は今、さらに勢力を拡大しようとし「戦争」に多くの国やその民衆を巻き込もうとしている。人々の憎しみの心を増大するためにマスコミは被害の悲惨さを連日報道しつづけている。「悪を退治する」名目の元に、報復攻撃を認めさせ、戦火を拡大し、罪の無い人を巻き添えで殺すことが出来たら、また憎しみの心が際限なく増大してゆく。こうなれば悪魔としては大成功だ。
このような「悪魔が喜ぶこと」を断じて許してはならない。悪魔のたくらみを人類の英知で阻止しなければならない。

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