4月16日の日記 「イラクの邦人解放に思う」

 イラクで拘束されていた邦人3人が15日無事に解放された、まずは素直に喜びたい。しかし翌日のニュースで少し不快な思いをした。救出に多くの人々の努力や多額の費用がかかったので本人たちにも費用の一部を負担してもらうかもしれない・・・とのこと。山で遭難した人の救援には多額の費用がかかるので助かった人は費用の一部を(数百万円とも聞く)負担しなければならないとの話は以前にも聞いたことが有る。それと同じ意味で言ったのかもしれないが、人命救助の喜びに水を差すような不快な発言に思えた。それよりも、「自己責任」と言う言葉が「万一死んでも本人たちの責任」という意味で使われていたのならともかく、無事に生還したとなるとこんどは「個人の勝手な行動で多くの人々に多大な迷惑をかけた〜迷惑をかけたことの責任を取れ」という意味にすり替わってきているようにも思えて、気にかかる。命が無事だったことを素直に喜び合えないものか。

 イラクが危険な所ということは我々日本にいる人間も分かっていた。だからイラクには行かない方が良かったのだ、と考えるのは簡単だが。はたしてそうだろうか?。イラクは少々危険な国であるとともに、復興が遅れ社会的なインフラも不十分で、病気や貧困で苦しんでいる市民や子供たちがいる、ということは忘れていないだろうか?そのような弱い立場のイラクの人々のために何かをしたいというやむにやまれぬ思いから勇気ある行動を起こした人を、批判する資格が、食事にも医療にも何一つ不自由のない境遇でのんきにテレビを見ている我々にあるだろうか?私は彼等の行動は結果的に迷惑をかけたことは事実だが、基本的には賞賛されるべきものだと信じている。彼等のためにどれだけのイラク人が日本を好きになったかと考えると、彼等には名誉大使の称号こそがふさわしい。 

 解放までに多くの人の努力が有ったことをニュースでも強調していたが、わたしは彼等が解放されたのは彼等がイラクの人の味方であることを拘束者たちも理解したことが最大の理由だったろうと思う。つまり「彼等は自分の心がけが良かったから助かった」のだと思う。救出された彼等には、「多くの人のお世話になったことを感謝しなさい」と、恩着せがましく(政治家に)言って欲しくない。(親が言うだけにしてもらいたい。)

 彼等の親たちが、被害者が未だ解放されない時期に「自衛隊の撤退を含めて最大限の救出努力をして欲しい」と涙ながらにに訴えていた時にも、「個人の身勝手から起きたこと〜国に対して身勝手な要求(自衛隊撤退など、国の政策を変えるような要求)をすべきでない」と批判的な人もいたらしい。そう批判する人たちは北朝鮮から帰国した子供たちを「返しません」といって、国と国との約束を破らせてしまった、あの親たちの行動についてどう思うのか、聞いてみたいものだ。わたしは、救出を涙ながらに訴えていた時の親の気持ちは人間としてぎりぎりの気持ちだったろうと思うし、誰も批判することは出来ないと思う。過去にさかのぼって親たちの訴えを支持したい。

 彼等の誰かが「またイラクに行きたい」と言ったことを小泉首相は「どうしてそんなことが言えるのか」と批判的だった。イラクの人と直接ふれあった彼等がそう思うことは至極当然なことだと思うが、「民間のボランティアの方々が安心して支援活動が出来る平和な環境を作るために最大の外交努力を続けたい」ということを首相はどうして言えないのか?どうやら小泉首相はイラクの人々のために何かをしたいという人の心が分からないらしい。ではどうして自衛隊をイラクに派遣したのだろう?小泉首相にとっては、自衛隊派遣はイラクの人々のためと言うより、アメリカに対して点数稼ぎをしたい自分のためだったのだろうか?やはりね。(ちなみに、鶴ちゃんとしては自衛隊派遣を「イラク国民のための復興支援のための派遣」として支持している。)

 彼等が日本に帰国する時、純粋に無事の帰国を喜ぶ人と、個人の勝手な行動で国民に迷惑をかけた人という目で迎える人とが成田に集まるだろう。悲しいことだ。特に心配なのは俗悪週刊誌がこぞって「迷惑をかけた人たち」と書き立てるだろうということ、そんな報道のために言論の自由は有るのか?くれぐれも人権侵害の無いようにしてもらいたいものだ。「ボランティアに無理解な冷たい日本に強制送還されるよりも、イラクで殺された方がましだった」と思いたくなるような状況に彼等が追い込まれないことを祈る。


続きの日記:4月21日 「自己責任論」とは?

日本政府は、イラクで起きた人質事件の様な事件がまた起こることの無いよう、渡航自粛の徹底を訴えているが、人質になった3人に対する批判の声を強めているようだ。悪かったのは武装グループの方で3人は被害者なのに、その3人を非難するトーンを高めないでもらいたいと思う。
しかし川口外務大臣や福田官房長官が、声を強めて、人質被害に有った3人は他人の迷惑を考えない問題人物である、かのような発言を繰り返しているには理由が有ると、鶴ちゃんは考えている。

今回、人質の3人が無事に解放されて政府は胸を撫で下ろしているが、武装グループの声明がもっと切羽詰まったもので、本当に3人が殺されていたらどうなったか考えてみよう・・・まことにもって恐ろしいことだ。自衛隊の撤退を拒否した政府の判断が本当に正しかったのかどうかの疑問の声ももっと強くなり、その賛否で国論が2分され、政府関係者の政治生命も危ういものになったかもしれない。日本全体が想像しがたい混乱に陥ったかもしれない。だから、人質が無事に解放されて「助かった」のは首相を初めとする政府の高官たちの方なのである。

「心的外傷」と言う言葉が有る。解放されたジャーナリストの安田さんの話によると、武装グループの人たちは、想像しているよりももっと「普通の市民」に近い感じだったようだ。人質になっている間も食事をちゃんと与えられていたとの様子からは、殺される恐怖をずっと感じていたようにも思えない。実際、自分達がイラクの市民の味方だと言う訴えを聞き入れてくれて解放してくれたのだから、拘束されていた間の心的外傷がどれだけ有るのか、鶴ちゃんには分からない。しかし、解放されて家族と電話で話し日本国内でも大きな問題になっていることの状況を詳しく聞くにつれ、心に重い荷物を背負ったような気持ちになっていったのではないかと推察する。

「未必の故意」という言葉が有る。子供に食事を与えないで放置し、死に至らしめた親の裁判などで、親が「殺すつもりは無かった」と弁解しても「放置すれば死ぬと分かっていたのに放置したのは、殺意が有ったに等しい」と、「殺人罪」で裁かれる・・・このことを思い出してみよう。武装グループからの声明に対し、ほとんど即座に「自衛隊を撤退させることはしない」と結論を出した小泉首相とその政府、「放置すれば死ぬと分かっていたのに放置したのは、殺意が有ったに等しい」・・・よね、と鶴ちゃんはには思えてくる。小泉首相は3人を見殺しにしたのだ!。人質の3人は母国に見捨てられ殺されそうになったのである。・・・こちらの事実の方が3人にとって永く消えない「心的外傷」になったのではないかと鶴ちゃんは心配するのである。

そのようなことを無意識のうちにも感ずるからこそ、高官たちが「いや、本人たちにも非が有る」と、人質被害者を攻撃をするのではないか?つまりかれらは「人命軽視の非人道的政治決断をした」との批判(声なき声)から身を守りたい、自己保身の為に弁明をしているのである。

しかし、小泉首相よ安心したまえ、世論調査によれば「テロに屈しなかった判断を支持する」国民は60%にのぼるとのこと。「人命尊重の見地から、自衛隊を撤退すべきだった」との声は20%にも満たないらしい。鶴ちゃんの考えは少数派だ。

「個人でやれば『殺人罪』になることも、国家でやれば『正義の戦争』になる」とは、戦争そのものの非人道性を嘆く、あるいは戦争の非人道性を糾弾する時に良く言われる言葉だ。平和な時なら「殺人罪」に問われかねないことが、今回は、国の判断として正しかったと国民の過半数の支持を得ているのだ。「国の置かれている状況から考えてやむを得ない」と、国家の立場を優先して人命を軽視した判断が正しかったとされるということは、わが国はもう「平和な時」ではなくて「戦時」になっていると言えないだろうか。アメリカとの同盟関係を重視して、自衛隊を派遣したことで日本はもう「イラク戦争の当事者」になっているのだということを、今回の人質事件で気付いた国民は何%いるのだろうか?。

戦争は悲惨だ、戦争は人殺しを正当化する悪魔の仕業だ。もっともっと人命を尊重することを第一に考えなければならない。世界の指導者には、武力によらない「平和的解決」をどこまでも真剣に追求して欲しいものだ。

追記:フランスのマスコミは日本政府の対応に批判的なようだ


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