3月6日の日記 :国歌「君が代」について考える

久しぶりの記事です。最近、広島市のある学校で、「君が代」を歌わせるかどうかで板挟みになったことを苦にしたと思われる校長自殺事件が起こりました。「君が代」については、オリンピックの表彰式の時に演奏されるなど、一応「国歌」であるとの扱いを受けています。しかし「君が代」を歌ったり学校の卒業式などで生徒に歌わせることに反発する人々もいます。これらの人々がなぜ「君が代」に反発するのでしょうか。

君が代の歌詞にある「君」は天皇を指し示していました。「天皇陛下の代が、いついつまでも続きますように」という内容の歌詞になっています。戦争の責任者である天皇を、戦後もたたえ続けることは戦争そのものに対する反省が無いと考えられてしまう、このような内容の歌を国歌として歌うことには反対だ・・・・というのが「君が代」反対の理由の骨子でありましょう。しかし、オリンピックなど公式に国歌の必要になる場面では相変わらず「君が代」が使われています。
戦後の平和憲法では天皇は「国民の象徴」として位置づけられています。したがって君が代の「君」は戦前は天皇を指していたが今は「国民」を指していると考えればよい。国歌として問題ないのではないか・・・・というのが、「君が代」を容認する言い分であるかも知れません。そのように楽観的に考えることが出来れば、幸せなのでしょうが、戦争中に日本軍に多大な被害を被った国々の人々にとってはなかなかそのように楽観的な見方は出来ないかも知れません。「天皇の歌ではなく国民の歌」という言い分は、自分中心の独りよがりな言い訳のように聞こえ、不快感が増すだけかも知れません。

そのように考えると、「君が代」を歌うことについて、あるいは「何を国歌として歌うべきか」ということについて、いちど国民全体でまじめに議論してもよいのではないでしょうか。私の個人的な意見としては「とりあえずメロディーをそのまま使うのはすでに定着しているから認めるとして、天皇礼賛と解釈できる歌詞を改め、新しい歌詞を当てはめてはどうでしょうか。」私の家内の意見は「歌っても眠くなる、元気が出ない、別の歌が良い」だそうです。問題にしている内容が違うとは思うのですが「君が代」見直し論の一つと言えるでしょう。方法としては国歌について検討する機関を文部省と民間の両方に設置し、いくつか候補曲や候補歌詞を挙げ、それを国民投票で選択してはどうでしょう。出来れば一回でなく5回10回と行って、それらの中から決定版をまた国民投票で選ぶ、国民の3分の2以上が選ぶ歌が出てくるまで何年かかっても繰り返しコンテストを行うと言うのはどうでしょうか。

「君が代」については議論することがタブーであるかの様な風潮があるのも事実ですが、21世紀を迎えようという今日、「臭いものにフタ」でなく、重要なことを国民が堂々と議論できる世の中になって欲しいものです。


前の日記  次の日記